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原爆ドームの存在感はあまりにも大きい

今日、8月6日は広島で原爆が投下された日です。
まあ、何と痛ましい出来事と感じつつ私はちょっと興味を示しいろいろ調べていました。

たまたま、Huluで配信されている「世界遺産」(MBSオンデマンド)の中にこの原爆ドームが映し出されていました。実際の放送は私には不明ですが、その中には今でも健在な原爆ドームがしっかりと根を下ろしたように移っていました。

爆心地から近く、風圧が上部からという理由でなんとか持ちこたえたこの建物は、元は広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていたそうです。

Genbaku_Dome04-r.JPG

私も仕事やプライベートなどで広島を訪れたときは、必ずこの
原爆ドームを訪れていますが、
いつ訪れても「しっかり見てくれ!もう戦争を起こしちゃ駄目だぞ!」といっているのが聞こえてきそうです。

今日も朝の黙祷は済ませ、改めて世界平和を祈る1日の始まりでした。

ちなみに、「原爆ドーム」としての再出発についての豆知識をお知らせしましょう。

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原爆ドームは原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、1960年代に入ると、年月を経て風化が進み、安全上危険であるという意見が起こった。

一部の市民からは「見るたびに原爆投下時の惨事を思い出すので、取り壊してほしい」という根強い意見があり、存廃の議論が活発になった。

広島市当局は当初、「保存には経済的に負担が掛かる」「貴重な財源は、さしあたっての復興支援や都市基盤整備に重点的にあてるべきである」などの理由で原爆ドーム保存には消極的で、一時は取り壊される可能性が高まっていたが、流れを変えたのは地元の女子高校生、楮山ヒロ子の日記である。

彼女は1歳のときに平塚町(現在は広島市中区で東平塚町・中平塚町・西平塚町の3地域に分割)の自宅で被爆し、15年後の1960年、
あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」等と書き遺し、被爆による放射線障害が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった

この日記を読み感銘を受けた
平和運動家の河本一郎や『広島折鶴(おりづる)の会』が中心となって保存を求める運動が始まり、1966年に広島市議会は永久保存することを決議する。翌年保存工事が完成し、その後風化を防ぐため定期的に補修工事をうけながら、現在まで保存されている
。(wikiより引用)

長く生きていても、知らないコトって多くありますね。
今回は、原爆ドームについてちょっとした豆知識も付け加えました。

尚、映像を楽しみたい人は是非、huluで検索してみてください。
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